真・女神転生III-NOCTURNE マニアクス:その14
氷川の行方を失った俺は、イケブクロに戻ってきていた。
氷川の奴がナイトメア・システムでマントラ軍を攻撃したのは間違いない。マントラビルの地下牢に囚われた勇の身が、心配だった。
ターミナルを出て、駆け足で本営ビルへと向かう。
通路を抜け、本営に続く扉を開けた俺の目に飛び込んできたのは、赤い光を立ち上がらせるマントラビルの姿だった。
あれは……マガツヒ?
それは今まで見た小さな灯のような、可愛らしいものではなかった。ビルの壁面を赤いうねりが走り、滝が逆流するように天へと注ぎ込まれている。マントラ中のマガツヒが吸い上げられているのだ。
だが、マガツヒの奔流の異様さとは対照的に、ビルそのものは何事も無かったかのように佇んでいる。中の悪魔だけが攻撃を受けているのだろうか?
これだけの量を吸い取られたら、一体どうなってしまうんだろう。
ただの人間である勇など、ひとたまりもないかもしれない。
中の様子もわからないままに、俺は正門を押し開けて陣地内に押し入った。
そして、そこで待ち構えていたのは、確かに予想外のものだった。
「久しぶり」
高い天井を支える柱の影から、聞いた声が俺を出迎えた。
……千晶。シブヤで再会して以来、行き先の知れなかったクラスメイトが、そこにいた。
突然の邂逅に面食らった俺は、驚きやら疑問やらで頭が一杯になってしまったまま、立ち尽くしてしまう。無事だったのか。見たところ目立った怪我とかはしてないみたいだ。良かった。でも何で此処に。
千晶は事も無げに、こう説明した。
決闘裁判に勝った悪魔がいると聞いた。その悪魔は俺だと思った。だから此処までやって来た。
──いや、だから誰に聞いたんだって。前提からしておかしいだろ。
勇といい、この千晶といい、まったくバイタリティのある連中だ。しょっちゅうヘコんでいる俺より、よっぽどボルテクス界に順応しているんじゃないかと。少なくとも、目の前のクラスメイトはおびえた様子を見せるどころか、肝の据わった笑顔でこちらを見つめている。
そして、その唇が俺の名を呼んだ。
「ねえ篠雨くん、是非、聞いて欲しいことがあるんだ」
物陰から歩み出た千晶の全身が、篝火に照らされる。
千晶はゆっくりと足を進め、俺と向かい合うように立った。
……正面にすると、僅かに千晶を見下ろす形になり、このクラスメイトが自分よりもずっと小柄で華奢なのを改めて認識した。シブヤのディスコで別れたときにも、気づいていたはずだった。千晶は俺と違う。悪魔じゃない、普通の人間なんだ。
俺が思っているよりずっと、辛い事は多かったのかもしれない。
分かった、聞いてやる。俺は千晶の次の言葉を待った。
「わたし、創世やってみようと思うんだ」
──は?
教室で放課後の予定でも話すような声音と、内容のギャップに、俺の思考は凍結した。
そんな俺に気づいてか気づかないでか、「おかしなこと言ってるかな?」などとこちらの顔を伺ってくる千晶。待て、それは突っ込み防止のつもりか。いくらなんでも白々しいぞ。俺は無言で抵抗を試みた。
それでも千晶は俺の理解を得ようと必死だ。
突拍子も無い考えかもしれないが受胎の瞬間に「声」を聞いたのがキッカケなんだ──そう主張する。
俺も聞いたはずだと詰め寄る千晶。
すまん、確かに俺も聞いた。「お前イラネ」って聞こえたけど。
ンな事言えないので、黙って誤魔化しておく。
ますますヒートアップする千晶。話題が物騒な方向へとシフトしていく。
前の世界は不要なものが多すぎた。だから世界は耐えられなくなったんだ。生き残った私は選ばれた存在。皆死んでしまったのは悲しい。でもこの悲しみを飲み下しさえすれば、ここでは無限の可能性が手に入る。
そう、悲しみを飲み下しさえすれば──
その言葉は、俺に言っているというより、千晶が自身に言い聞かせているようだと思った。
証拠に、言い終えた彼女の瞳から、悲しみの色が消え失せたから。
千晶がひとことを紡ぐ度に、かつての俺達が、教室が、一緒に過ごした時間が、価値の無いモノであったかのように崩れ去って行く。
千晶の恐ろしく透き通った瞳の中で、俺はその光景を、確かに見ていた。
千晶は、シブヤで別れた時の千晶では無くなっていた。
俺が生きていたことを喜び、皆を探しに行くと言って出て行った千晶はもういない。
──いや、受胎を生き残った時に、俺達はみんな変わってしまっていたのかもしれない。
追い討ちをかけるような千晶の宣誓が、二人きりの空間に響く。
不要なモノを排した、優秀なモノの世界。ヨスガの世界を作ってみせる。
この世界で勝ち残ってきた、篠雨くんなら分かるよね──?
──分からない。千晶、俺には無理だ。
だって、東京が死んだとき、俺だけ助かっても嬉しくないってことを知ってしまったから。
お前なら分かってくれると思ってたんだけどな。
あなたなら分かってくれると思ってたんだけどな。
平行線上に立った俺達は、互いに見つめあうしか出来ない。もう決して、同じ方向を見ることはないのだろう。直感的に、俺はそう理解していた。
……それでも、残念そうな千晶の表情に、俺の胸は殊勝なくらい痛みを覚えていた。負い目を感じる理由なんて何処にもないのにな。
自分の考えを曲げるつもりはないと言い切る千晶が、やっぱり見知ったクラスメイトにしか思えなくて、俺には放っとけなかった。鬱だ。
千晶は、ヨスガの世界を創るために旅立った。ヨスガは強いものの世界だから、俺の手は借りない。自分で何とかして見せると言って。
在りし日の笑顔で残してくれた別れの言葉だけが、俺の心を軽くしてくれた。
──また会いましょう。